白骨の章

「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、凡そ(おおよそ)はかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一(ひとつ)の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属(ろくしん・けんぞく)集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり、あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ あなかしこ」

我が家は浄土真宗なのですが、この文章は子供の頃読経の際に耳にしていた、蓮如上人による「世の無常」を訴えられた御文(おふみ)です。白骨という言葉がでてくるので当時は空恐ろしい気持ちで聞いていましたが、この歳になるととても心に響くお手紙です。

この文が出来たきっかけの一つに、青木民部という下級武士の悲運があります。

山科本願寺の近くに住む民部には17歳の美しい娘がおりました。慶ばしいことに、延徳元年(1489年)8月、上級武士との縁談話がまとまりました。喜んだ民部は愛する娘のため、大切にしていた先祖代々の武具を売り払い、嫁入り道具を揃えたそうです。

やってきた晴れやかな婚礼の日。美しく着飾った行列が門を出ようとしたところで、なんとその花嫁が突然倒れてしまいました。急ぎ家に運び入れ手当をするも、その甲斐なく息を引き取ってしまいます。悲嘆にくれるなか、火葬して持ち帰った娘の白骨を胸に抱き、彼女のはかない人生を嘆き悲しむ民部とその妻もまた、後を追うように他界してしまったそうです。衛生環境の良くない当時では、若者の死というものもありふれたものだったのでしょう。

この御文は、日々の忙しさに流されがちな私たちに、避けて通れない「死」と向き合い、いのちの大切さ、ありのままの自分を受け入れるように諭してくれています。

現代訳はこちらです。

「さて、水辺に浮かぶ根なし草のように頼りのない、私たち人間の姿をよくよく見つめてみますと、色々考え合わせてみても、この世の始めから終わりまで、夢幻のようにはかない一生です。

いまだ一万年の寿命を授かった人がいたという話を聞いた事がありません。人の一生涯はあっという間に過ぎ去ってしまいます。今までに(数)百年の肉体を保った人はいたでしょうか。先に自分が死ぬかもしれないし、あるいは他人が先かもしれません。それも今日かもしれないし明日かもしれません。この後死ぬ人や先立って逝った人は、雨の日に草木の根元に流れ落ちる雫や、葉先から散っていく露の数よりもずっと多いのです。

それゆえに、朝元気に出ていった人が、夕方に変わり果てた姿で帰ってくる(白骨となってしまう)こともあるのです。無常の風が吹いてしまいますと、一瞬で2つのまなこは閉じてしまい、最後の息がとまってしまえば、桃のような血色のいい顔もむなしく変わってしまいます。そうなればすべての家族・親戚が嘆き悲しんでも、もはやどうする事もできません。

いつまでもそのままにはしておけないので、野辺送りをして火葬すれば、夜中に一条の煙が立ち上った後には、ただ白骨が残されるだけで、もはや哀れという言葉だけでは言い尽くせません。人間の命は、老少不定(老人や若者のどちらが先に死ぬかはわからない)の境遇でありますから、どのような人も後生の一大事(地獄に堕ちることを避け、極楽浄土に生まれること)を心に留めながら、心から阿弥陀仏をたのみ申上げて、念仏申すべきであります」