東日本大震災⑰入間→岐阜

翌日、入間基地から岐阜に向けて移動を開始しました。いつも見慣れた入間の街中を進んでいると、頻繁に渋滞に巻き込まれていることに気が付きました。最初は道路工事などの自然渋滞かと気にも留めていなかったのですが、実はそれが給油待ちの長い列であったとわかるまでに時間はかかりませんでした。震源から遠く離れた首都圏に影響はないだろうと思っていましたが、連日の被災報道により不安感が増幅されたのでしょう、多くの市民が詰めかけていました。昨年の令和の米騒動が記憶に新しいですが風評の影響力とは恐ろしいものです。またこの時は飲料水の買い占めも起こり、東海地区にまで買い求められる方が続出、岐阜でもしばらく品薄状態が続くことになりました。

【画像】首都圏でのガソリンスタンドの行列。 東日本大震災・写真特集6 震災後の暮らしの姿(朝日新聞)より 

高速道路に入ってからは順調に進み、中央道の諏訪湖サ-ビスエリアで休憩をとることになりました。ここからの眺望は素晴らしく、春の陽光の下で諏訪湖が静かな湖面を湛えていました。そんな中、薄汚れた無精ひげの我々が突如わらわらとおりてきたために、周囲からの視線を一心に集めることになりました。心も体も冷え切っていたからでしょうか、豚汁定食を注文したように覚えています。出発の朝以来の温かい食事のおかげで、張りつめていた緊張の糸がほぐれていくのがわかりました。

【画像】諏訪湖サービスエリアからの眺望

 サービスエリアにおいて、基地正門で所在隊員による出迎えの予定ありとの報告をうけ、いよいよ派遣の終わりが近づいてきたことを実感しました。東海環状道から東海北陸道に入り、1500(ヒトゴーマルマル)頃岐阜基地に戻りました。入門の際には守衛のチェックがあります。それまでのリラックスした気持ちを改め、威儀を正して基地正門を通過しようとしますと、正門の向こうに多くの人影と、幟や旗がたなびいているのが見えました。4高群の車列に続き正門をくぐりますと、メインストリートの両側にズラッと整列した、数多の隊員達の敬礼による出迎えを受けました。旧軍時代の写真ではお目にかかったことはありますが、このような盛大な出迎えを受けることなどそうそうないので、退官した今となっては大変良い思い出です。敬礼は、お互い黙って右手を挙げあうだけの、単純動作に過ぎないのですが、相手の気持ちがヒシヒシ伝わってくる、不思議で便利な所作だと思います。

 基地内を進み交差点で4高群の車列は直進し、我々は病院へ道をそれることになりました。そこでこれまで先導してくれた4高群の車列に、別れと感謝の意味でクラクションを鳴らしますと、バスが揺れるぐらいの勢いで、皆が大手を振ってくれるのがみえました。こちらも負けじと手を振り返し、病院に到着しました。

【画像】岐阜帰還後の集合写真。2列目右から3人目が私。