世界的に観光施設の2重価格の導入が進んでいます。私の生まれは姫路市なのですが、その姫路には皆さんご存じの世界遺産の姫路城があり、国内で2重価格をいち早く導入したことでニュースにもなりました。平成の大修理が終わり、優美な姿を楽しませてくれている姫路城ですが、実は廃城の危機にあったことはあまり知られていません。
近代化がすすめられた明治時代、各地に存在していた城郭はもはや無用の長物でした。明治6年(1873年)、政府は全国の125の城郭の廃棄を決定、姫路城など56の城のみ存続が認められました。とはいっても姫路城も荒れ果てて維持管理が困難であったため、競売にかけられ23円50銭(当時)で落札されました。落札業者は城の建材の転売を考えていたようですが、瓦や木材の流用が困難で、解体費用も膨大となることが分かり、最終的に権利を放棄しました。その後、姫路城は陸軍の管理下に戻り、敷地内に軍事施設が建てられたものの、天守の手入れはほとんど行われず腐朽が進みました。

陸軍省第四局長代理中村重遠大佐は、価値ある城々の保全を陸軍卿山県有朋を説いて、名古屋城と姫路城は陸軍の費用で修理することになりました。しかしながら膨大な費用は国費だけでは賄いきれず、市民による「白鷺城保存期成同盟」の結成や城下各地の有志達の衆議院への陳情によってようやく明治43年(1910年)、国費9万3千円が支給されて「明治の大修理」が行われました。その功績をたたえ顕彰碑内には中村大佐の顕彰碑が建てられています。

姫路は先の大戦末期2度のB-29の空襲を受け、お城の南側を中心に焼け野原となりました。初回は姫路市街北東部にあった旧川西航空機姫路製作所が狙われました。ここには当時海軍の最新鋭戦闘機だった紫電21型(通称紫電改)の生産ラインがあり、その生産を妨害すべく空襲が行われたとされています。2度目は焼夷弾による市街地攻撃で、姫路城には当時陸軍第10師団司令部が置かれていましたが、爆撃目標が市街地でもやや南東部であったこと、上空の偏西風でB-29編隊が東に流されたこともあり、天守閣に焼夷弾が落ちたにもかかわらず不発で事なきを得ました。

このように姫路城は奇跡的に危機を免れた貴重なお城です。もし破壊されていれば世界遺産に登録されることはなかったという視点で訪れてみるのも、面白いかもしれません。
初めに戻りますが、3月から姫路城の入場料が改定されました。姫路市民はこれまで通り1000円据え置き、その他2500円となっています。姫路城の維持管理費は、2015年度からの10年間で約145億円かかり、2025年度からの10年間で約280億円が見積もられています。この維持管理費には、姫路市の市民税も投入されていることから、市民は据え置きとのことです。小学生の頃はお城の周りで遊びまわっていた私も2500円、値上げ理由には納得するもやはりちょっぴり寂しい・・。
