16日、整備直後の滑走路に、首を長くして待っていた救難機が強行着陸したらしいとの便りが舞い込んできました。「強行着陸?やるな、1輸空か?」などと盛り上がっていると、あにはからんや米軍機でした。先陣は日の丸を疑いもしなかった我々は、落胆と同時に「まあそうだよな・・。」と煮え切らない雰囲気になったことを覚えています。被災直後の混乱の中、連絡手段が限られていた基地管制と米軍との調整が難しかったであろうことは容易に想像がつきますが、情報に疎い現地では様々な風聞が飛び交いました。整備後とはいえ津波後の滑走路には小石などの不純物が残っている可能性が高く、危険を冒して着陸を決断したのは米軍の豊富な紛争地経験がなせる業なのでしょうが、空自への期待が大きかった分「奴ら軍人、俺たち公務員」と、ずいぶんな軽口も聞かれました。

この米軍機はアメリカ空軍第353特殊作戦群所属のMC-130H(コンバットタロンⅡ)で、おかげで管制機能を仮復旧させることが出来、以来松島基地は輸送拠点として機能することになります。軽口と言えば、数日の滞在にもかかわらず我々の言葉遣いに変化がみられ始めました。粗野な物言いと言いますか、重圧下のために心がささくれ立ちかけていたのだと思います。後述しますが、復旧作業が長くなるに従い心労による隊員間の不協和音が問題化していきます。

午後、屋外を歩いていますと我々と同じ赤十字のライナー(ヘルメット)を被った見慣れない集団がいることに気が付きました。人見知りゆえ遠巻きに彼らを観察していますと、「先輩、お疲れ様です」との声を掛けられ、ここにおいて増援部隊が到着したことを知りました。診療室に戻りますとすでに別の集団も着任の作業をしており、最終的には南から那覇基地(沖縄県)、新田原基地(宮崎県)、芦屋基地(福岡県)、そして浜松基地(静岡県)の衛生隊員が一堂に会することとなりました。西方の部隊がまとまって宮城県まで到達するのは一苦労です。那覇にいたっては急遽チャーターした船便で大阪港(だったと思います)に上陸し、遠路はるばる陸路で移動してきたとのことで、彼らの労をねぎらわずにはおれませんでした。

今回の集合は空幕衛生の調整をうけた派遣ではなく、緊急招集で右も左もわからず集まったというのが実態ですので、当然衛生隊員にだぶつきが生じました。それでも物資、人手ともに不足気味で心細かった我々としては、応援のありがたさが身に沁みました。

→東日本大震災⑭に続く
前回はこちら 東日本大震災⑫福島2 – 奥平クリニック
