答えが分かりません

 月に数回ですが外勤先の病院で内視鏡検査を行っています。その日は検査が早く終わり、帰宅のため最寄り駅に向かいました。始発駅なので車内は空いています。小春日和の昼下がりで、運転台を通して見える景色が好きな私は先頭車両に乗りました。他に乗客はおらず、座席の暖房に幸せを感じながら物思いにふけっていますと、女性の運転士さんが出発準備を始め、ほどなく出発しました。

のどかな風景の中、とある駅に差し掛かり減速を始めた頃、眠気を吹き飛ばすけたたましい警笛音とともに急ブレーキがかかり、異常な振動とともに急停車しました。嫌な予感と言いますか、もうあれしかないのですが、万が一にも予想が外れることを念じつつ座っていますと、願いかなわず人身事故発生がアナウンスされました。

 実は人身事故は3回目です。1度目は研究科の学位審査の日で、1時間以上遅刻することになり、審査の先生方の不機嫌なことといったら・・・。その後の哀れな顛末はご想像にお任せいたします。2度目は車窓から亡くなられた方を目にすることになりました。その方のお召しになっていた、場違いなほどの爽やかなドレスが脳裏に焼き付いています。経験された方はお分かりかと思いますが、事故直後の車内は恐ろしいほどの静寂に包まれます。今まさに一つの命がついえ、刻んでいた時計が止まってしまった瞬間に立ち会うことで、あの世との境目(三途の川)を身近に感じるからでしょうか。

 大学の救急部時代、自殺未遂の方を担当することもありました。「もう少しで楽になれたのに」と恨まれました。自殺動機を知ると正直あのまま逝かせてあげたほうが・・と思える患者さんもいましたが、我々医師は目の前の命を救う事が使命と教わっていますから、もてる医療資源を投入して全力で救命に当たるしかありません。

 オランダなど一部の国では、回復の見込みのない重病の患者さんに限り、安楽死が認められるようになってきました。日本では脳死移植が広まらないのと同様、安楽死については慎重です。これは西洋と東洋、宗教的死生観の違いからくるものだと思いますが、自殺志願者は精神科的には重症患者です。合理性に基づく西洋的発想に立てば、いずれ自死の自由も認められる時代が来るのでしょうか。

事故処理で現場検証、遺体搬送に警察、消防、駅員を含めてざっと20名ほどが対応に当たり、運転再開まで1時間ぐらいかかりました。懸命に事後処理にあたっていた、かの運転士さんは同僚に付き添われて引き上げていきました。警察からの事情聴取があるでしょうし、飛び込みを目の当たりにしたことによる心的ストレスは免れないでしょう。自殺は多くの場合多方面に影響を与えてしまいます。何とか思いとどまってほしいものです。