東日本大震災⑤松島基地

 翌朝から活動が始まりましたが、我々は地理に不慣れなため、手始めに基地内の現状把握からはじめました。外周フェンスはすべて押し流されて跡形もなく、地域の方々が不明者の捜索のために、自由に基地に出はいりしている状況でした。

自衛隊には国防という本来の任務があります。発災の当日から3月31日までにロシア機に対して14回、中国機に対して4回スクランブルを実施したとの記録があるように、日本が被災したことは周辺国からすると情報取集の絶好の機会でした。いち早い基地機能復旧のために、まずは住人の皆さんの立ち入りを控えていただくことが急務となりました。そのために基地内の不明者捜索を徹底的に行い、その後は入場を制限させていただくことについてご理解いただいたと後に聞かされました。

昨晩到着時に大きな池だと思っていた基地の周りは、津波の海水が溜まったままの田畑であることが分かりました。その広大な水面の所々に長い竹竿が突き立っていましたが、それらは水没している車両の位置を示しており、赤い布切れが結び付けられている所は、車内の確認が済んだ印だと教えられました。音も色彩もない静寂の中、水面に直立する竹竿に真紅の布が揺れている姿は、なんといえない寂寥を感じさせました。

飛行場地区では、まず整然と並んだ状態ながら水没して泥にまみれたF-2戦闘機が目に飛び込んでまいりました。練習部隊ですから規律や整備に厳しい部隊だけに、機体の汚れと、整然と並んだ機体の列線とのギャップが震災の緊急性を物語っていました。

また、報道で有名となった、管制塔にまで流されて衝突した機体だけでなく、格納庫内でも多くの機体が無残な姿になっているのが次々に視界に入りました。一度の地震で数多くの装備が一瞬のうちに使用不能になったわけですが、ブルーインパルスは九州新幹線開通記念行事のため被災を免れたことは、せめてもの救いでした。

衛生隊舎に入ってみましたが、腹の高さまで津波の後がくっきり付いており、各部屋くまなく泥が溜まっておりました。水没を免れた使用可能な医薬品などの搬出をおこないました。通信が使用できないため、逐一上に確認しての作業は不可能でしたので、手当たり次第に片付け作業をすることで日が暮れていきました。ただし、2,3時間ごとに震度3-4の余震が頻発し、津波警報も発せられるため、その都度高所への退避を余儀なくされました。