翌日の午前中に給油と基地衛生隊から救難物資の補充をもらい、1000(ヒトマルマルマル)入間衛生隊員らの見送りを受け、北上を開始しました。東北道は通行許可を受けた車輌以外通行禁止でしたので、すれ違いもなく通行車両はほぼ我々のみという静寂の中、時間が過ぎていきました。ただ1台、日章旗と旭日旗を大きく掲げた自衛隊のようなモスグリーン色のミニバンがすれ違いましたが、これは料金所側が自衛隊と勘違いして許可した、とある政治団体の車両のようでした。もちろん、拡声器を通して心を鼓舞する力強い声援をいただきましたが、自衛隊の隊列の中に、かの政治団体の車が紛れ込んでいるというシュールな場面に遭遇したことで、心に余裕が生まれました。

途中の各インターチェンジは警察車両で物々しく封鎖され、サービスエリアは通信隊でしょうか、陸上自衛隊が早々と部隊を展開させており、まさに国家非常事態宣言を彷彿とさせるものでした。肝心の高速道路もひどくダメージを受けておりましたが、すでに道路公団の皆さんが夜通しで復旧工事を進めておられました。驚くほどの早さで仮復旧がすすんでいましたが、それでも時速は50kmがやっとの移動でした。

休憩に立ち寄った安達太良サービスエリアでは、炊き出しをされていた方々から「俺たちの東北を頼む」との声援に包まれました。仙台を過ぎたころ、コンビナートからの巨大な爆炎が3本天に向かってそびえたち、上空の偏西風で折れ曲がったように水平に流されていく異様な光景を目にしましたが、夕日が当たってオレンジ色に染まっておどろおどろしい絵となっており、胴震いが止まりませんでした。
日付の変わった深夜2時(マルフタマルマル)に基地に到着しましたが、基地周囲のフェンスは全てなぎ倒され門柱だけが残り、正門とは名ばかりのものとなっておりました。基地内は様々な漂流物が散在していましたが、敷地内の道路は整備されていることから、指揮系統は保たれており、復旧に向けて動き出していることが実感できました。ブルーインパルスの格納庫そばに駐車し、鼻をつままれてもわからない暗闇の中、懐中電灯を頼りに司令部庁舎にたどり着きました。