改めて調べてみますと、我々がこの報告を受けた爆発事故は、2度目の爆発事故、具体的には3月14日11時過ぎの3号機の事故の報告であったと思われます。しかしながら、12日にすでに1号機が水素爆発を起こしておりますので、我々はまる2日間原発事故を知らずに屋外活動をしていたことになります。
原子力爆発の雨といえば、広島原爆の黒い雨があまりにも有名です。加えてロシアのチョルノービリ(チェルノブイリ)原発の事故が記憶に新しく、同じような放射能汚染が我々の活動地域にも及ぶのではという疑心暗鬼にかられ、いやがおうでも死が脳裏をかすめました。

そんな中頭に浮かんだのが、防衛医大卒業式の一コマでした。我々医学科学生(現在は看護学科学生も)は、卒業式が終わると引き続き自衛隊の任命・宣誓式があり、自衛官としての宣誓を行い晴れて医科幹部候補生(曹長)となります。宣誓文は少し長いのですが、以下のとおりです。

「私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」
(自衛隊法施行規則第39条)

この宣誓文の「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる・・」のところは、まさに宣誓式の山場、自衛官を自衛官たらしめるフレーズです。このフレーズを口にしたとき、これでもう引き返せんなぁと感傷に浸ったものです。式典は日の丸と自衛隊旗を掲げた医大の体育館で、防衛大臣、陸海空幕僚長等に正対して宣誓するのですが、この宣誓文にある「事」や「危険」というものに、いともたやすく引き込まれてしまうという現実を突きつけられました。

原発事故の報告は、被災地入りしている不明者捜索班にも伝わってはいたようですが、だからといって救難活動を中断して退避するわけにはいきません。夜半まで続いた捜索は雨水に濡れながらの作業、被曝の可能性は否定できず、さぞショックを受けているかと思いきや、一人が自身の薄毛を指さしながら「労災おりますかね?」と返して周囲の笑いを誘っていました。ただ、我々の活動拠点の近くには女川原発があり、そちらも爆発した場合は「俺たち生きては帰れんね」との会話も漏れてきました。
