東日本大震災④ 松島到着

庁舎の1階2階は津波で使用できず、3階以上に隊員が集まって、非常用発電のもとにまさに不夜城と化していました。そもそも松島基地は何百人もの隊員がいるわけですから横になる場所もなく、30分交代でパイプ椅子に座って仮眠を取っているような厳しい環境でした。

松島基地到着

人ごみをかき分け衛生隊を探し出し、思い切ってドアを開けましたが、こちらの心配をよそにひっそりと落ち着いている様子でした。薄暗い中、後輩医官や昔の同僚の懐かしい顔を認めたので、彼らの輪に入っていき声を掛けました。深夜でしたし、本来なら居ないはずの私の顔を、不思議そうに見つめる後輩からは、「先輩、危ないですよ。こんなところで何やってんですか?」、元同僚からは「いやあ先生、10年ぶりですかね」と暢気な挨拶で出迎えられ、実は私たちのほうが焦りや不安にのみ込まれていたことに気づかされました。気を取り直して「いやいや、俺たち救難で来たんだわ」と伝えたところ、瞬時に部屋が静まり返ってしまいました。そして突如大きな歓声が起き、握手やら手荒い抱擁で盛大に歓迎されました。

ひとしきり再開の喜びに浸ったのち、衛生隊長のもとへ到着の報告に向かいました。てっきり同じように歓迎されるかと思いきや、彼からはまことに困った顔で「お前たちに分けるメシはない。ここは俺たちでやる。はっきり言って邪魔だから帰ってくれ」と、予想外の言葉が返ってきました。思えば彼は部下と違い責任をとる立場、不眠不休で負傷者対応、防疫管理などの業務に忙殺されており、いきなりの私の登場に理解が追い付かなかったのかと思われます。我々は岐阜(4高群)の指揮下に入っていること、独自に糧食や睡眠場所は確保していることを説明して納得してもらい、その後は順調に作業が進みました。食事と睡眠は死活問題、局限下での生存競争を垣間見ることになりました。

 我々はブルーインパルス格納庫前の駐機エリア(エプロン)、前回津波が襲った場所にデンと陣取ることとなりました。「再度津波が来たら一巻の終わりだなあ」と自嘲しあいながら、トレーラーの荷台の中にずらっと2段ベッドが備え付けられた寝台車両で一夜を明かしましたが、燃料節約のため0時には暖房がオフ、かつ外は氷点下、ほとんど眠れず凍えながら朝を迎えました。